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乱中日記(2013年登録)
 
李忠武公親筆本『乱中日記』、1件7冊(国宝第76号)
『乱中日記』は、李舜臣が1592年1月1日から1598年11月17日までの7年間、軍隊での生活を記録した親筆日記である。『乱中日記』は本来、「壬辰日記」(1592年)、「癸巳日記」(1593年)、「甲午日記」(1594年)、「乙未日記」(1595年)、「丙申日記」(1596年)、「丁酉日記」(1597年)、「続丁酉日記」(1597年)、「戊戌日記」(1598年)によって構成されていたが、現在は1595年の「乙未日記」を除く計7冊が伝わり、保存されている。

『乱中日記』とは、海軍司令官の李舜臣(1545~1598)が壬辰倭乱(文禄・慶長の役、1592~1598)の間、軍中において記した親筆日記である。本来は、8冊によって構成され、文禄の役が勃発した時(1592年1月)以来、1598年11月、露梁海戦において戦死する直前までの7年間の出来事が記述されている。
日記の歴史的背景となる壬辰倭乱(文禄・慶長の役)は、外面的には朝鮮と日本との間の戦争であるが、実は日本の東アジアにおける勢力を確保するために引き起した戦争だったという世界史的な意味がある。とくに、日本と明(中国)はそれぞれ西洋から伝来した銃砲などの各種武器を大量に生産してこの戦争で使用し、朝鮮は世界初といわれる装甲船を開発し、戦場に投入した。また、東南アジアの国々とヨーロッパの傭兵が参戦していた事実も見つかっている。
『乱中日記』は個人の日記の形式を持つが、戦争中、海軍の最高指揮官が自ら毎日の戦闘状況や個人的考えを率直に記している点において、世界史的にも類例のない貴重な記録である。また、戦闘状況に関する詳しい記録だけでなく、当時の気候、地形、庶民の暮らしについても記されているので当時の地形および環境、庶民の生活像を研究する上で貴重な資料となっている。簡潔でありながら流麗な文章は、現在も韓国の国民が愛唱する詩も多数含まれているので、文学的価値も非常に高い。
2013年6月、ユネスコ世界記録遺産国際諮問委員会(6.18~21、韓国・光州)において、世界記録遺産に登録された。