昌徳宮は朝鮮王朝の第3代太宗5年(1405)に景福宮の離宮として建てられた宮殿で、1610年光海君の際に正式な宮殿として使用され、その後1868年高宗が景福宮を再建するまでの258年の間、歴代諸王が政務を執ってきた法宮(王の住む宮殿)であった
昌徳宮内には最も古い宮殿正門である敦化門、臣下達の賀礼式や外国使節との接見の場として使用された仁政殿、国家の政務を論じた宣政殿などの治朝空間があり、王と王妃および王家一族が暮らす熙政堂、大造殿などの寝殿空間の他に宴会、散策、学問をすることができる非常に広い空間を後苑として造成した。
正殿空間の建築は王の権威を象徴して高くつくり、寝殿建築は正殿より低く簡潔なもので、慰労・娯楽空間の後苑には自然地形を変えないように小さな丁字閣(庭園の中にある休憩所)を多く建てた。
今日、自然の山の姿と調和するよう、地形を大きく変えず、人為的な建物が自然の樹林に柔らかく溶け込めるように意図された配置は、自然と人間が作り出した完璧な建築の表象である。また、王達の休息の場として使用された後苑は300年を超える巨木と蓮池、亭子など造園施設が自然と調和することで建築史的にも、また造園史的側面からも欠かすことのできない貴重な価値をもっている。後苑は 太宗 5年(1405)昌徳宮を創建する際、後苑として造成し、昌慶宮ともつながるようにした。
昌徳宮は朝鮮時代の伝統建築で、自然景観を背景とした建築と造園が高度の調和をなしており、後苑では東洋の景観美の神髄を鑑賞することができる世界的造園の一断面を見せる特徴がある。