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水原華城をお伝えします。




水原華城(1997年登録)
 
水原華城は朝鮮王朝第22代正祖大王が、先王である英祖の二番目の王子として太子に冊封されたが、党争に巻き込まれ王位に就くことができず米櫃の中で生涯を終えた父、思悼世子の墓を楊州の拝峰山から朝鮮最大の明堂(風水の吉祥地)である水原の華城に移し、華山の近くにあった邑治を水原の八逹山の麓、現在の位置に移して築城された。

華城は正祖の孝行心と党争による党派政治の根絶、強力な王道政治の実現のための偉大な政治的抱負が込められた政治的構想の中心地として建設されたもので首都南側の国防要塞として活用するためのものであった。

奎章閣の文臣である・丁若鏞が東洋と西洋の技術書をもとにして作った『「城華籌略(1793年)』」を手引きとして宰相を勤めた領中枢府事・蔡濟恭の総括の下、趙心泰の指揮で1794年1月に着工し、1796年9月に完工され、200年前の城の姿がそのまま現存している。

築城時に(クレーン)や巻き上げ機などの新機材を特殊に考案・使用し、巨大な石材などを動かして積むのに利用した。築城後1801年に発刊された『「華城城役儀軌』」には築城計画、製図、方式だけではなく動員された人員の人的事項、材料の供出地及び用途、予算と賃金計算、施工機械、材料加工法、工事日誌などが詳細に記録されており、城郭築城など建築史に大きな足跡を残しているだけでなく記録としても歴史的価値が大きい。

築城の動機が軍事的な目的というよりは政治的・経済的側面と亡き親に対する孝行心で、城郭自体が 「孝」思想という東洋の哲学を表現しており、文化的価値の他にも精神的、哲学的な価値を持つ城として、これに関わる文化財がよく保存されている。