処容舞は五人の踊 り手舞員舞員が處容の仮面をかぶって五方(東、西、南、北、中央)に立って踊る宮中舞踊である。宮中舞踊の中で唯一、人の形の仮面をかぶって踊る踊りで、「五方処容舞」ともいう。
新羅末憲康王が蔚山の開雲浦(今の黃城洞細竹村一帯)の海辺に遊びに出たが、帰り道に黒い雲と霧が前を遮った。王が変に思い、左右の臣下に理由を聞いたら日官が「これは東海龍の仕業であるため良いことをして解決しなくてはなりません。」と答えた。王が龍のための寺を建てろと命じたところ、すぐに黒い雲は消え、東海の龍が七人の息子を連れ出し踊りを踊ったが、そのうちの一人が王についてきたがそれが處容だった。處容は美しい女性と結婚して級干の官職を受け、王の政事を手伝うようになった。そんなある日、疫神が處容の妻を病に犯そうとしたため、それを何とか防ごうと處容が歌をつくり歌いながら踊ったところ、疫神が姿を現し跪いて謝った。その後、民衆が處容の姿を描き戸口につけ、鬼神を追い払い、慶事になった。
この時、處容が踊った踊りが処容舞だと伝わっている。統一新羅から高麗後期までは一人が踊ったが、朝鮮世宗の時には五人が踊る五方処容舞で踊ったという。楽学軌範には陰暦12月晦日、旧年の魔鬼と邪神を追い払うため行った儀式の儺礼で二度も処容舞を踊ったと記録されている。
処容舞の5人は 東西南北と中央に五方向を象徴する服を着て踊るが、東は青、西は白、南は赤、北は黒、中央は黄色である。踊りの内容は陰陽五行説の基本精神を基礎に、悪運を追い払う意味が含まれており、踊りはにぎやかで絢爛、堂々とした活気に満ちた動きの中で元気で豪放な姿が伺える。
處容仮面の小豆粥色や桃の実などは悪鬼を追い払う辟邪(邪気を追い払うこと)の意味をもっており、牡丹花は財物を呼ぶと言う富貴花で、めでたい事を迎える進慶の意味を含んでいる。